神奈川県は、令和5年度から6年度にかけて地震被害想定調査を行い、令和7年3月に報告書を公表しました。県に影響を与える地震について、揺れや津波の広がりだけでなく、建物・人・ライフライン・交通などの被害を見積もったものです。
県内の事業所がBCPで「どのくらいの地震を前提にするか」を決めるとき、もっとも身近な公的な根拠になるのがこの被害想定です。一方で、数値は特定の条件を置いた推計であり、そのまま自社の被害の見込みになるわけではありません。この記事では、調査の枠組みを確認したうえで、数値の読み方と、自社の想定に使うときの注意を順に整理します。
調査の 枠組み:11の 地震と 「冬の 平日18時」
県はこれまでにも、昭和57〜60年度、平成3〜4年度、平成9〜10年度、平成19〜20年度、平成25〜26年度に地震被害想定調査を行ってきました。今回の調査はそれに続くもので、最新の科学的な知見のほか、熊本地震や令和6年能登半島地震などの近年の大規模震災の事例を参考にしたと報告書は説明しています。
対象は11の地震です。このうち6つが「想定地震」、残る5つが「参考地震」と位置づけられています。参考地震は、発生確率が極めて低いものの、起きれば県全域に甚大な被害が及ぶおそれがある地震などで、参考として被害量が算出されています。
| 想定地震 | 規模(Mw) | 県内で想定される主な震度 | 発生確率の評価 |
|---|---|---|---|
| 都心南部直下地震 | 7.3 | 横浜市・川崎市を中心に震度6強 | 南関東地域のM7クラスの地震が30年間で70% |
| 三浦半島断層群の地震 | 7.0 | 横須賀三浦地域で震度6強 | 30年以内6〜11% |
| 神奈川県西部地震 | 6.7 | 県西地域で震度6強 | 過去400年の間に同クラスの地震が5回発生 |
| 東海地震 | 8.0 | 県西地域で震度6弱 | 南海トラフの地震は30年以内80%程度 |
| 南海トラフ巨大地震 | 9.0 | 県西地域で震度6弱 | 南海トラフの地震は30年以内80%程度 |
| 大正型関東地震 | 8.2 | 湘南地域・県西地域を中心に震度7 | 30年以内ほぼ0%〜6% |
神奈川県「神奈川県地震被害想定調査報告書(概要版)」(令和7年3月)の想定地震の一覧をもとに編集部作成。発生確率は報告書が地震調査研究推進本部(令和7年1月15日現在)などの評価として示したもの
参考地震は、元禄型関東地震、相模トラフ沿いの最大クラスの地震、慶長型地震、明応型地震、元禄型関東地震と国府津-松田断層帯の連動地震の5つです。このうち後の3つは、津波による被害だけが想定されています。
もう一つ押さえておきたいのが、発災の時刻と季節の条件です。概要版の数値は、火災の被害が大きくなり、防災関係機関が初動体制を取りにくい「冬・平日・18時」を前提にしています。ただし、津波による死傷者は、避難の条件が厳しい深夜0時の発災で算定されています。本編では、このほか冬の平日朝5時と、夏の平日昼12時についても想定しています。※1※1県内全域を250メートル四方のメッシュに分け、メッシュごとに被害を想定して、原則として市区町村単位でまとめています。
事業所の立場から見ると、18時は従業員の多くが退社や帰宅の途中にいる時刻です。平日の日中に被災した場合の見込みを知りたいときは、本編の12時の結果もあわせて確かめる必要があります。
6つの 想定地震の 主な 結果
想定地震ごとの主な被害は、次のとおりです。いずれも県全体の値です。
| 想定地震 | 死者(人) | 全壊棟数(棟) | 1〜3日目の避難者(人) |
|---|---|---|---|
| 都心南部直下地震 | 1,850 | 42,920 | 1,064,620 |
| 三浦半島断層群の地震 | 700 | 15,830 | 398,710 |
| 神奈川県西部地震 | 260 | 3,430 | 43,180 |
| 東海地震 | 330 | 2,970 | 55,890 |
| 南海トラフ巨大地震 | 790 | 5,770 | 85,580 |
| 大正型関東地震 | 19,780 | 303,300 | 2,365,850 |
神奈川県「地震被害想定調査報告書について(簡易版)」および「報告書(概要版)」(令和7年3月)をもとに編集部作成
- 大正型関東地震うち津波 6,070人19,780人
- 都心南部直下地震津波による死者は0人1,850人
- 南海トラフ巨大地震うち津波 780人790人
- 三浦半島断層群の地震700人
- 東海地震すべて津波330人
- 神奈川県西部地震260人
表2の死者数を棒で表したもの。神奈川県「地震被害想定調査報告書について(簡易版)」および「報告書(概要版)」(令和7年3月)をもとに編集部作成
表2からは、地震によって被害の中身が大きく異なることが読み取れます。都心南部直下地震では死者のほとんどが揺れなどによるもので、津波による死者は0人とされています。これに対し、東海地震では死者330人のすべてが津波によるもの、南海トラフ巨大地震では死者790人のうち780人が津波によるものとされています。大正型関東地震では、揺れと火災、津波がすべて重なり、死者19,780人のうち津波による死者が6,070人と想定されています。
つまり、同じ「大きな地震」でも、内陸の事業所にとって重いのは揺れと火災、沿岸の事業所にとっては津波、という違いがあります。どの地震を自社の前提にするかは、所在地によって変わります。
被害の広がり方も地震ごとに違います。概要版によると、都心南部直下地震では県東部から中部にかけて震度6弱以上となり、川崎市の広い範囲、横浜市の沿岸北部、相模原市の東部、厚木市、伊勢原市、海老名市、座間市などの一部で震度6強以上とされています。三浦半島断層群の地震では横浜市、横須賀市、逗子市、葉山町の一部で、神奈川県西部地震では酒匂川と根府川の周辺で、震度6強のエリアが広がると想定されています。
国の 被害想定との 違い
国も、首都直下地震と南海トラフ地震の被害想定を見直しています。内閣府の「令和8年版 防災白書」には、国の想定のうち神奈川県の死者数が載っています。同じ地震でも、県の調査とは数値が異なります。
| 地震 | 県の調査(令和7年3月) | 国の想定 |
|---|---|---|
| 都心南部直下地震 | 1,850人(冬の平日18時) | 約3,500人(冬・夕方、風速3m/s)〜約5,200人(同、風速8m/s) |
| 南海トラフの地震 | 790人(うち津波780人) | 約3,100人(すべて津波。冬・深夜、早期避難率が低い場合) |
県の値は神奈川県「地震被害想定調査報告書について(簡易版)」(令和7年3月)、国の値は内閣府「令和8年版 防災白書」特集 第2章 図表2-2-2(首都直下地震、令和7年12月)・図表3-2-3(南海トラフ地震、令和7年3月)をもとに編集部作成
差が出るのは、置いている条件が違うためです。国の首都直下地震の値は、被害が最も大きくなる場合の値で、風速8m/sのときの神奈川県の死者約5,200人のうち約4,200人は火災によるものとされています。南海トラフ地震の国の値は、地震の揺れと津波が最も大きくなる組み合わせで、すぐに避難する人が少ない場合の値です。
どちらかが正しいというより、条件による幅と考えるのが実務的です。自社の所在地の数値は県の調査の市区町村別の結果で確かめ、国の値は「条件が悪ければここまで増える」という上限の目安として扱います。
数値を 読む ときに 押さえて おく こと
報告書の概要版には「留意事項」の章があり、数値の限界が項目ごとに書かれています。自社の想定に使う前に、次の点を確認しておくと、数値を過信したり、逆に軽く見たりすることを避けられます。
推定を多く含んでいること。 ライフラインの被害や復旧日数について、県は推定を多く含んでおり、実際には状況によって被害の様相が変わる可能性があるとしています。大規模災害では、復旧の人員や資機材の調達が難しくなることや道路の被害などで、復旧が大幅に遅れる可能性があるとも書かれています。
計算に含めていない被害があること。 重要施設の被害については、天井や棚、窓ガラスなどの非構造部材の耐震性を考慮していないため、想定以上に使えなくなる施設が出る可能性があるとされています。事務所や工場でも、建物が倒れなくても天井や棚が落ちて使えなくなることは起こり得ます。
結果に幅があること。 焼失棟数は複数回のシミュレーションの平均値で、出火点の位置によって増減する可能性があるとされています。死傷者数も、採用する手法によって異なる可能性があると明記されています。
高層階では地表の震度より影響が大きくなり得ること。 高層ビルやマンションの中高層階では、揺れの増幅や長周期地震動によって、固定していない棚の転倒やキャスター付きの什器、コピー機などの移動で、想定以上に負傷者が出る可能性があるとされています。地表の震度が6弱以下の地域でも起こり得る、という指摘です。
被害想定の数値は「この地震が、この条件で起きたら」という仮定のもとでの推計です。県全体の値が小さい地震でも、自社の所在地では強く揺れる場合があります。県全体の合計ではなく、所在地の市区町村の値と震度分布を確かめてください。
自社の 想定に 使う ときの 手順
県の数値をBCPの前提に落とし込むときは、次の順番で確かめると、社内で根拠を説明しやすくなります。
- 所在地の市区町村の値を見る。 報告書の「資料1 市区町村別被害想定結果一覧」に、想定地震ごとの市区町村別の結果がまとめられています。県全体の表2ではなく、事業所・倉庫・主な取引先がある市区町村の行を見ます。
- 所在地の震度を確かめる。 震度分布は、県のオープンデータカタログでも公開されています。当サイトの拠点リスク確認では、国の地震動予測地図にもとづく今後30年に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を所在地ごとに確かめられます。県の被害想定は特定の地震が起きた場合の揺れ、国の予測地図は起こりうる地震をまとめた確率で、性格が異なる点に注意します。
- 前提にする地震を決める。 内陸の拠点なら揺れと火災が大きい地震を、沿岸の拠点なら津波の大きい地震もあわせて選びます。複数の拠点がある場合は、拠点ごとに影響の大きい地震が違うことがあります。
- 市町村の地域防災計画の前提を確かめる。 市町村の地域防災計画は、令和7年調査より前の県の調査を前提にしていることがあります。避難所や応急対策の計画が、どの年の想定にもとづいているかを確かめたうえで参照します。
- 発災の時刻を自社に合わせて読み替える。 概要版の値は18時発災です。操業時間帯に被災したときの従業員の安全や帰宅の問題は、12時の結果や、帰宅困難者の想定を見て検討します。
- 根拠を記録しておく。 BCPには「神奈川県地震被害想定調査(令和7年3月)の都心南部直下地震、冬18時の結果による」のように、調査名・地震名・条件を書いておきます。県が調査を見直したときに、どこを直せばよいかがすぐにわかります。
神奈川県地震災害対策推進条例は、事業者の取組として、地震が発生したときに従業員が取るべき行動を明確にし、その内容を習得することを挙げています。被害想定は、その行動を決めるための出発点として使える資料です。ライフラインや交通の支障について詳しくは「都心南部直下地震で県内に想定されるライフラインと交通の支障」で、津波の想定については「相模湾・東京湾沿岸の津波浸水想定の調べ方と読み方」で扱っています。